レノボ・ジャパンを率いる渡辺朱美社長は、初代のThinkPadの開発にエンジニアとして携わり、IBM時代には、国内において同シリーズのマーケティングと販売の責任者を務めたこともある(関連記事)。
編集部では、社長就任後半年を経たタイミングで、渡辺氏を取材する機会を得ているが、その際にはThinkPad開発時の思い出や、日本でThinkPadを開発する意味についてコメントする場面も見られた。
その内容は、短期集中連載の形で3回に分けてお届けした内藤氏のインタビュー「ThinkPadはなぜ日本で作られたのか」と合わせて読むとより理解が深まる。ここではその要約版を掲載することにした。
この記事は過去に掲載したインタビュー記事の要約版です
完全版は下記のURLからご覧いただけます。
IBM時代から変わらないこと、変わったこと
── 元々はIBM時代にThinkPadの開発にも携わられて、レノボでまたPC事業に関わることになった。その何年かの間にギャップを感じることはなかったのでしょうか?
渡辺 「そうですね。私が開発にいたのは1986年から90年代の前半までで、ThinkPadで言えば初代から3台目、4台目までとなりますね。1990年代の後半はThinkPadの販売マーケティングの責任者をやっていました。そこまでが私のPCの経験となります。
2000年以降はPC以外の仕事をIBMでやってきました。つまり12年強はPC業界から離れていた形になります。私としては戻ってきたという感覚ですね。戻りたかった。スピードの速さや刺激を求めてきたら、やはり速くて息絶えながらも全力疾走している感じですね。
開発に関しては直接はタッチしていないので、現場がどのくらい変わったかは分からないのですが、設計思想に関してはまったくと言っていいほど変わってないですね。
渡辺 「以前、記者会見でも紹介したのですがThinkPadには3つのこだわりがあります。これは20年前から今まで脈々と受け継がれていることなんです。1つ目が堅牢性、2つ目がキーボードやトラックポイントの使いやすさ、3つ目がイノベーションです。
これは実は私が15年前にThinkPadのマーケットと販売をやっていたときに言っていたのと同じことなんです。私も変わっていない。