塩澤一洋の“Creating Reed, Creative Mass.──大公開時代の羅針盤” 第23回
塩澤一洋の“Creating Reed, Creative Mass.──大公開時代の羅針盤”
教養のチカラ
2008年10月26日 15時00分更新
多様化するコミュニケーション。人のぬくもりを感じるフィロソフィー
「教養」を考えるうえで最も大切なのは、教養の向く先への意識だ。そこにはいつも「相手」がいる。
常に「そこに人がいる」という意識。自分はその相手に対して表現するのだし、目の前にあるものは誰かしら人が表現したメッセージなのだと認識することこそ、教養の核心だ。社会的動物である人間の基本といってもいい。あちら側に相手の存在を意識しつつ、その相手に理解できるようにメッセージを発し、受け取ったメッセージの向こうに人のぬくもりを感じられるのが教養なのだ。
そしてその「相手」はひとりひとり異なる、という認識が、教養をさらに深める。この人にはフランス語で伝えよう、彼には音楽で語ろう、メールより筆で手紙をしたためたほうがわかってもらえるだろう、といった顧慮をかたちにするのだ。それぞれの相手によって用いるチャンネルの選択肢を多く持てば、教養の懐が深まる。
しかし今日、あちら側にいるはずの相手を認識するのが難しくなっている。昔なら、ほとんどの場合、目の前にいる相手とコミュニケートできれば十分だった。身振り手振りや表情など言葉以外のチャンネルも利用できるし、井戸端、教室、喫茶店といった共有する「場」のチカラも相互理解の助けになった。
いわゆるその場の「空気」も重要な要素だ。でも現代のコミュニケーションはもっと間接的なものが増えている。そもそも「場」や「空気」を共有していないコミュニケーションも多い。
たとえば電子メール。筆跡もない活字の羅列でメッセージを伝えるなど、かつては脅迫状くらいだった。いまでは、その画面上に表示された文字で、自分の意図を相手に伝え、相手のメッセージを読み取ることが求められる。我々はもはや電子メールやチャットの文字列に慣らされているけれど、これは極めて高水準の「教養」を必要とする媒体なのだ。完全に文章だけで、的確に相手の理解を引き出すことを必要とするからだ。
(次ページに続く)
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